March 2011
March 24, 2011
March 15, 2011
* Dad's Funeral *
月曜は父の葬儀でした。
日頃は会えない親族の方々に
お会いできて光栄でした。
多忙の中出席いただきました。
親族の方、東京、大阪、神戸
から車で来られた方心より感謝します。
食事などでは結構盛り上がりました。
とにかくポジティブ・シンキングで
がんばります!
父の遺灰の一部はもらいました。
母の遺灰の眠るマンハッタンの
イースト・リバーに流す予定です。
仲良しだった両親がニューヨークで
再会(微笑)。
・・・・・・・・
激動の歳月をあなたはどうやって翔(かけ)ぬけ
真っ白なキャンバスに狂気とも言える赤や青
うらぶれた場所でさえ 鮮やかに・・・
(quoted from globe: inspired red and blue)
・・・・・・・・・・・・・
和家裕樹
March 13, 2011
Over the Rainbow .虹の彼方に。
昨日、父が亡くなりました。
(涙)。
この1ヵ月半くらい病気で
日赤に入院していたのですが
やはり厳しかったのです。
命だけは元に戻らないのが悔しいんです。
あんなに優しかった父さん、母さん!
みんな消えていく・・・。
人の寿命をのばせるとすれば
医師の方々の努力と
本人の生命力に頼るしかない。
家族はただ見守って祈るだけ。
母が3年前に癌で56歳で亡くなり、
父はこの度、62歳で肺炎と腎臓疾患で亡くなった。
父もこの3年母がいなくて
ずっと寂しかったのかと思う。
僕の人生の中での激動が押し寄せてきた。
20代で両親が亡くなってしまった。
二人とも早くになくなったのが
そしてほぼ同時期というのが
なんとも残念で悔やまれます。
「 あんなに元気だったお父さん。
やっと母さんのところに行けたね。 」
父の入院中に1度だけ奇跡があり
父が2月5日に救急車で緊急搬送され
集中治療室で意識不明の重体の1週間後。
父に「兄貴が東京から帰るけんね」と
声をかけたのが幸いしたのか、
ちょうど兄が帰省する直前に良くなった。
1週間ほど会話ができたし、
僕たちも退院は近いのかもと思った。
結局はそれが父との最後の会話になった。
その後、病状が急変してまた集中治療室へ。
それを経て、数週間の治療になったけれど
結局、人工呼吸器をしたまま亡くなった。
2011年3月12日(土曜日)午後3時47分。
3月12日が父の命日になった。
3月14日(月曜日)の愛媛新聞、朝日新聞
読売新聞の「おくやみ」欄に掲載します。
喪主は兄が担当します。
今日の朝刊には間に合いませんでした。
仲の良かったお父さん、母さん。
ケンカは一度も見たこともないし
聞いたこともなかったほどです。
例えば小学生の頃などは日曜の朝は両親のほのぼのした笑い声が
目覚まし時計代わり。
幸せな家庭に育ったことが僕の生涯の宝物。
今日は18時からお通夜、3月14日の月曜は11時から
葬儀告別式。
上の写真がニューヨークにあるマンハッタン島。
兄と一緒にニューヨークに行き
この場所で遺灰を流したんです。
手前の川が母の遺灰の眠るイースト・リバー。
ロウアー・マンハッタン。
父の遺灰の一部は母の遺灰の眠る
イースト・リバーに流しにいこうと思う。
ハッチポッチクラブ
代表取締役社長
和家裕樹